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岩見信吾ウェブログ/イワメディア:岩手盛岡・三陸宮古オモッセ&ソーシャル

その地域づくり、本当に住民のため?学生のフィールドワークが「迷惑」になる理由

time 2025/10/03

「地域活性化」や「まちづくり」という言葉が、当たり前のように使われるようになりました。
学生が地域に入ってフィールドワークをしたり、若手デザイナーがおしゃれな空間をプロデュースしたり…一見、とても素晴らしい活動に見えますよね。

でも、その裏側で「正直、迷惑なんだよな…」とため息をついている地域住民がいるとしたら、どうでしょうか?

良かれと思ってやったことが、なぜかすれ違ってしまう。
今回は、そんな地域づくりに潜む「独りよがり」のワナと、そのすれ違いをなくすための「重要なキーパーソン」についてお話ししたいと思います。


 

なぜ?学生の「調査」が地域を疲れさせるワケ

やる気に満ちた学生が地域を訪れ、住民にヒアリングをする。これは、多くの大学で行われている「地域フィールドワーク」の光景です。
しかし、これがしばしば地域住民の負担になっています。一体なぜでしょうか?

指導者が「お客様気分」で地域を知らない

一番の問題は、学生を指導する街づくりコンサルタントや大学の教授、下請けコーディネーター自身が、その地域を深く理解していないケースが多いことです。

  • 地域の歴史や人間関係を知らないまま学生を送り込む。
  • 「地域課題を解決してあげる」という上から目線を持っている。
  • 学生への教育が不十分で「地域に学ぶ姿勢」を教えていない。

指導者がこれでは、学生も「調査対象」としてしか地域を見ることができません。
例えるなら、あなたの家にいきなり知らない学生がやって来て、「この家の問題点を教えてください!解決策を考えてあげます!」と言っているようなものです。
失礼だと感じませんか?

「またその質問?」繰り返される一方的なヒアリング

地域住民からすると、毎年違う大学の、違う学生がやって来ては、同じような質問を繰り返します。

「どんなことに困っていますか?」 「この地域の魅力は何ですか?」

彼らはレポートを書いたら、もう二度とこの地を訪れないかもしれません。住民にとっては、貴重な時間と善意を「消費」されているだけ…そんな無力感が募ってしまうのです。地域は、学生の学びのための「無料の教科書」ではないのです。


 

デザイナーの「おしゃれな提案」が浮いてしまう現実

次に、デザイナーが関わる地域づくりについてです。彼らが作る美しいデザインや、洗練された空間は、確かに魅力的です。
しかし、ここにも大きな落とし穴があります。

机上の空論と現場の「温度差」

デザイナーは、課題を「デザイン」で解決しようとします。
例えば、「若者が集まる場所がない」という課題に対し、「おしゃれなカフェを作りましょう!」と提案する。
計画書は完璧で、完成予想図はとても魅力的です。

しかし、「そのカフェ、誰が毎日運営するの?」という最も重要な視点が抜け落ちていることがあります。

  • 運営する人の人件費は?
  • 地域の人は本当にカフェを求めている?(公民館の畳で茶飲み話がしたいだけかも…)
  • イベントの時だけ盛り上がって、普段はガラガラ…なんてことにならないか?

現場のリアルな営みや人間関係を無視した「机上の計画」は、地域の実情と大きなズレ(不均衡)を生み、結局は誰も使わない「ハコモノ」になってしまう危険性があるのです。

見た目の良さに惹かれる若者の危うさ

こうした「おしゃれな地域づくり」は、SNS映えもするため、若者や学生の心を掴みやすいという特徴があります。

「あのデザイナーが関わっているなら、面白そう!」 「こんな素敵な場所で活動できるなんて、最高!」

しかし、彼らはプロジェクトの「キラキラした部分」にだけ惹きつけられ、その裏にある地道な作業や、泥臭い人間関係の調整から目をそむけがちです。イベントを手伝ってチヤホヤされ、満足して帰っていく。それでは、地域に根付くはずがありません。

結局、見た目のデザインと地域住民の日常との間には大きなギャップが生まれ、「私たちのための地域づくりじゃなかったね」という寂しい結果に終わってしまうのです。


 

すれ違いをなくす鍵は「地域の通訳者」というキーパーソン

では、どうすればこうした悲しいすれ違いを防げるのでしょうか?
その答えは、「地域との通訳的な人材」を見つけ、その人と共に活動することです。この存在こそが、プロジェクトの成否を分ける最も重要なキーパーソンと言えます。

「通訳者」ってどんな人?

「通訳者」とは、単に言葉を訳す人ではありません。

  • 地域側の言葉(方言、価値観、暗黙のルール、人間関係)
  • よそ者側の言葉(専門用語、ロジック、プロジェクトの目的)

この両方を深く理解し、両者の間に立って「文化」や「感情」まで翻訳してくれる人です。

例えば、このキーパーソンは、こんな風に両者の橋渡しをします。

学生に対して: 「いきなり『課題は何ですか?』なんて聞いたらダメだ。まずはお茶飲み話に付き合って、畑仕事を手伝ってからだよ。そうすれば、ポロッと本音を話してくれるから。」

デザイナーに対して: 「その計画は素晴らしいですが、この地域ではまず区長さんと○○さんにお伺いを立てないと、誰も協力してくれませんよ。順番が大事なんです。」

地域住民に対して: 「あの若者たちは、別に地域をバカにしてるわけじゃないんです。ただ、やり方を知らないだけ。なんとか地域の力になりたいっていう気持ちは本物なんですよ。」

このように、お互いの誤解を解き、スムーズなコミュニケーションを可能にしてくれる潤滑油のような存在。
それが「地域の通訳者」なのです。

どうすれば、地域と本当に関われるのか?

これから地域に関わろうと考えているあなたが、まずやるべきこと。
それは「すごい提案」を考えることではなく、「信頼できる通訳者」を探すことです。

Uターンしてきた若者、地元のNPO職員、外の世界も知っている役場の人、地域のことを何でも知っている世話好きな商店主…。
そうしたキーパーソンを見つけ、敬意を払い、パートナーとして連携すること。それが成功への一番の近道です。

そして、最終的にはあなた自身が、地域に深く入り込み、よそ者の視点も持ち合わせた「通訳者」の一人になることを目指すべきなのかもしれません。

地域づくりは、派手なイベントや即効性のある解決策を求めるものではありません。
そこに住む人々の日常に寄り添い、共に汗を流し、時間をかけてゆっくりと関係を育んでいく、地道な営みなのです。

どうか、「独りよがりなヒーロー」ではなく、地域にそっと寄り添える「良き隣人」を目指しましょう!

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最近、政治家や政党・政治活動団体がインターネットを通じて政治活動資金を募る「クラウドファンディング」が、新しい政治参加の形として注目を集めています。

「クリーンな政治のため、企業献金に頼らない!」「市民の力で政治を動かそう!」

こうしたキャッチーな言葉と共に、多くのプロジェクトが立ち上がり、共感した市民がスマートフォン一つで手軽に支援できる。一見すると、これは理想的な「市民主体」の政治に見えるかもしれません。

しかし、一歩立ち止まって考えてみましょう。この仕組み、本当に市民が「主役」なのでしょうか。むしろ、政治が市民に「課金」を求める「市民課金」モデルになってはいないでしょうか?

「政策」の前に「財布」を開かせる仕組み

本来の「市民主体」の政治とは何でしょうか?

それは、私たちが日々の暮らしの中で感じる課題や未来への希望を、政策という形で実現してくれる代表者を選ぶことから始まります。私たちは、政治家の掲げる理念や政策をじっくりと吟味し、議論し、投票という行動で意思を示します。つまり、主役はあくまで市民一人ひとりの「意思」や「政策判断」です。

一方で、政治クラウドファンディングの多くは、まず私たちに「財布を開かせる」ことから始まります。それこそ「市民・有権者【負担】の始まり」であり、【二重課税】そのものです。

プロジェクトページには、候補者の熱い想いやビジョンが語られます。しかし、私たちが最初に行うアクションは、政策への深い理解や議論ではなく、「支援」という名の資金提供、つまり「お金を出す」ことです。

これは、まるで応援したいクリエイターに「投げ銭」をしたり、好きなゲームで「ガチャ」を回したりする感覚に似ていないでしょうか。共感や期待に対してお金を払い、その見返り(リターン)として活動報告やオリジナルグッズを受け取る。この構造は、まさに「課金」そのものです。

「市民課金」がもたらす3つの危険性

「応援したい人にお金を出すのが、何がいけないの?」 もちろん、その気持ち自体は尊いものです。しかし、この「市民課金」モデルが政治の当たり前になると、いくつかの危険性が生まれます。

1. 政策よりも「人気」や「共感」が優先される

課金モデルで成功するためには、多くの人の感情に訴えかけ、共感を呼ぶストーリーが重要になります。そうなると、地味で時間のかかる政策課題よりも、分かりやすく、キャッチーで、時に過激な主張をする人にお金が集まりやすくなる危険性があります。政治が、中身の伴わない人気投票になってしまうのです。

2. 「お金を出せる市民」の声が大きくなる

「誰でも少額から参加できる」というのはクラウドファンディングの魅力です。しかし、現実には高額な支援をする人もいます。政治家にとって、多額の「課金」をしてくれた支援者は「太い客」に見えてしまうかもしれません。結果的に、声の大きさがお金の量に比例してしまい、資金を提供できない、あるいはしたくない市民の声が軽んじられる恐れがあります。これでは、一部の裕福な個人や企業から献金を受けていた旧来の政治と、本質的に何が違うのでしょうか。

3. 政治が「運営」に、市民が「ユーザー」になる

課金してくれた「ユーザー(市民)」の期待に応え続けなければ、次の「課金」はありません。政治家は、長期的な視点で国や地域の未来を考えるよりも、目先の支援者(課金ユーザー)の顔色をうかがうようになりがちです。政策が実現しなかった時、市民は「課金したのに裏切られた」と感じ、政治家は「サービスが不十分だった」と謝罪する。このような関係性は、本来あるべき市民と政治家の緊張感ある関係とは程遠いものです。

真の「市民主体」を取り戻すために

政治クラウドファンディングは、政治への関心の入り口として、また新しい資金調達の選択肢として、可能性を秘めています。

しかし、私たちはその手軽さに流されることなく、その本質が「市民課金」モデルであるという側面を冷静に見極める必要があります。

私たちが政治家に求めるべきは、財布を開くことへの見返り(リターン)ではありません。私たちの暮らしを豊かにし、未来への責任を果たす「政策の実現」です。

そのためには、お金を出すだけでなく、

  • 学ぶこと:候補者が何を言っているのか、その政策は本当に実現可能なのかを学ぶ。
  • 議論すること:家族や友人と政治について語り合い、多様な意見に耳を傾ける。
  • 投票に行くこと:最も重要な意思表示である選挙権を放棄しない。

これら地道な行動の積み重ねこそが、真の「市民主体」の政治を実現する唯一の道です。

次にあなたが政治クラウドファンディングのページを目にした時、ぜひ一度問いかけてみてください。

「私は今、未来の社会に参加しようとしているのか。それとも、ただ『課金』しようとしているだけなのか」と・・・どちらですか??

政治クラウドファンディングは透明性が肝です。使用目的はなんですか?
SNSに付随する制作物がほとんどではないですか?
現時点で、具体的な政策はしっかり述べられていますか?
そして、収支決算書をきちんと見ることです。

この記事を見て、なんか気になる点があったら速攻「やっぱ返して!」と言ってみてはいかがでしょうか?
進んで「クーリングオフ」を活用しましょう!

たくさんのみなさんのご理解、ありがとうございました。
岩見 信吾

【公職選挙法に関する注意点】
政治資金規正法上、政治家個人への寄付は原則として禁止されています。政治家への寄付は、候補者が代表を務める政治団体が受け取る形になります。また、選挙期間中の寄付の募集は「事前運動」とみなされ、公職選挙法に抵触する可能性があります。さらに、居住地以外の地域の候補者への寄付は制限されるなど、公職選挙法には細かな規定が存在します。政治クラウドファンディングを利用する際は、これらの法的制約を十分に理解し、適切に行動することが重要です。

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それは「手柄の横取り」ではない!「魂の略奪」である!!

もし、あなたが24年という歳月をかけ、丹精込めて豊かな果樹園を育て上げたとします。 色とりどりの果物が実り、多くの人がその恵みで笑顔になった、まさにその収穫の直前。 ある日突然、有力者を名乗る人物が現れて、こう宣言します。

「この素晴らしい果樹園は、私が作ったものだ!」

そして、あなたの存在そのものを否定し、まるであなたが最初からいなかったかのように振る舞い、果実だけをすべて奪い去る。 挙句の果てに管理を放棄し、果樹園を荒れ放題にしてしまったとしたら……。

あなたはどう感じますか? これは、単なるたとえ話ではありません。

私、岩見信吾が、この岩手の地で24年以上にわたり続けてきた社会貢献活動、NPOボランティア、そしてNPO団体の運営支援という活動の現場で、実際に起きたことなのです。

これは「ひどい事」という一言では片づけられない!!

私の24年以上にわたる活動の成果を奪い、その活動を無責任に投げ出し、そして何より、私という人間がNPO活動に存在しなかったかのように扱う行為。 これを「ひどい事」という一言で片づけてはいけません。 これは、一人の人間の人生という時間を、土足で踏みにじる行為です。

汗も涙も、喜びも苦悩も、すべてが詰まった24年という歴史のページをビリビリに破り捨て、「無かったこと」にする歴史の改ざんです。 その人が地域に捧げた善意や情熱、築き上げてきた信頼関係を根こそぎ奪い去る、まさに「魂の略奪行為」と言っても過言ではないのです。

 

想像してみてください。これがどれほど残酷で、非人道的な行為であるか?

【マラソンランナーの悲劇】

42.195kmを血の滲むような努力で走り抜き、ゴールテープの目前まで来たランナーを押しのけて、ずっと待機していた人物がゴールし、すべての喝采を浴びる。 それどころか、元々走っていたランナーは「コースを走っていなかった」ことにされてしまうのです。  

【我が子を奪われる親の痛み】

愛情を込めて育て上げた我が子の名前を、ある日突然、他人が自分の子として戸籍を書き換え、自らの功績として自慢し始める。 そして、本当の親の存在は、誰の記憶からも消し去られようとするのです。 これが、どれほど残酷で非人道的な行為であるか、お分かりいただけるでしょうか。 これは単なるビジネス上の成果の横取りとは次元が違います。 人の善意と人生そのものを否定する、最も卑劣な行為の一つです。  

なぜ、このような人物が地域のリーダーに向いていないのか?

そして今、このような行為を平然と行った人物が、地域のリーダーになろうとしている、あるいは既になっているとしたら、私たちはその現実を直視しなければなりません。 なぜなら、その人物はリーダーとして致命的な欠陥を抱えているからです。
  • 他人の痛みがわからない 人が時間と情熱を注いだものを平気で奪い、その存在を無かったことにできる人間は、他人の痛みに共感する能力が決定的に欠如しています。 これは、市民一人ひとりの暮らしや想いを背負うリーダーには、絶対にあってはならない資質です。
  • 誠実さの欠片もない 他人の功績を盗んで自分のものだと言い張る不誠実さ。 これは、市民に対しても平気で嘘をつき、情報を隠蔽し、自分に都合の良いように事実を捻じ曲げる危険性を示唆しています。 そのようなリーダーの下では、公正で透明な地域運営など望むべくもありません。
  • 感謝と尊敬を知らない 地域社会は、名前も知られていないような多くの人々の地道な努力と貢献によって成り立っています。 その努力を踏みにじる人間は、市民への感謝や尊敬の念を持ち合わせていません。 自分より弱い立場の人、声の小さい人を切り捨て、使い捨てる政治を行うことは火を見るより明らかです。
  • 責任感の欠如 美味しいところだけを奪い、面倒になった途端に活動を無責任に投げ出す行為は、リーダーの根幹である「責任感」の無さを露呈しています。 困難な課題や災害が起きた時、真っ先に地域や住民を放り出すのは、このような人物です。
人の努力の結晶を土足で踏みにじり、その上に自分の城を築こうとする人物は、リーダーではありません。 地域社会という共同体を破壊する「略奪者」です。  

「知らなかった」では済まされない。応援するあなたの社会的責任

「あの人は良い人そうだから」「詳しいことは分からないけど、応援している」

その一言が、どれだけ重い責任を伴うか、私たちは考えなければなりません。 事実を知らずに、あるいは知ろうともせずに、こうした人物を応援することは、不正行為への加担に他なりません。

あなたは、丹精込めて果物を育てた農家からすべてを奪った泥棒が売る果物を、「美味しそうだ」と言って買うのと同じ過ちを犯しているかもしれません。 あなたは、歴史の改ざんに「その通りだ」と拍手を送る群衆の一人になっているかもしれません。

あなたの無邪気な「いいね!」や「応援」が、不誠実な人物に「お墨付き」を与え、その卑劣な行為を正当化し、新たな被害者を生む力になってしまうのです。

 

未来を選ぶのは、私たち一人ひとりです!

地域の未来を選ぶのは、私たち一人ひとりです。 リーダーを選ぶという行為は、私たちの暮らしと子どもたちの未来を託す、極めて重い決断です。

表面的なイメージや耳障りの良い言葉に惑わされてはいけません。 その人がこれまで「何をしてきたか」、そして「どのように人と向き合ってきたか」。 その行動の積み重ねこそが、その人物の本質を表します。

どうか、あなたの清き一票、あなたの善意からの応援が、「魂の略奪者」を生み出す力とならないよう、真実を見抜く目を持ってください。

誠実な人間が、その努力が、正当に評価される社会。 人の痛みがわかるリーダーが、地域を導く社会。 そんな当たり前の社会を築く責任が、私たち一人ひとりにあるのです。

私を「無かったこと」にした、「特定非営利活動法人 いわて連携復興センター」、「特定非営利活動法人 いわてNPOフォーラム21」の代表や理事、事務局長そしてその組織に加担する人物を、私は絶対に許しません。

一人の人間の功績と人格、そして費やした人生の時間を社会的に抹殺しようとするこの行為は、個人の尊厳を著しく踏みにじる、断じて許されない「人権侵害」です。

何も考えず「無邪気」応援するあなたの姿勢、今すぐ改めませんか? 多くのみなさんのご理解、ありがとうございました。

岩見 信吾

次回は、政治活動団体のクラウドファンディングの危険性について論説します。

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長きにわたり、私はこの愛する三陸沿岸・岩手県の地で、声なき声に耳を澄まし、誰かの「助けて」に手を差し伸べるNPOの支援活動をライフワークとしてきました。

学生時代から24年以上、決して短くない歳月です。

そして、あの未曾有の悲劇、東日本大震災・津波の災害からの道のりを、仲間たちと手を取り合い、涙と汗にまみれて歩んできた日々。

盛岡に移り住み、岩手県NPO活動交流センター副センター長として、その職責の重みを噛み締めた9年間

これらは、私の人生の大きな一部であり、揺るぎない誇りです。

しかし、その一つひとつ丁寧に積み上げてきた誇りのレンガを、人物達は土足で踏みつけ、粉々に砕き、いとも簡単に「私を無かった事、そして居なかった人」にしました。

実績を乗っ取り手柄を泥棒し、しかも数年でめちゃくちゃにして投げ出すという人物も居ました。

また、私一人のことであれば、まだ歯を食いしばって耐えられたかもしれません。

ですが、断じて許せない一線があります。

その人物は、あろうことか、私たちが共に支え合ってきたハンディキャップのある仲間を、大勢の人がいる公の場で嘲笑し、尊厳を踏みにじったのです。

弱い立場の人を守り、その声にこそ耳を傾けるのが、人の上に立つ者の務めではないのでしょうか。それを一笑に付し、見世物にする。その光景は、私の脳裏に焼き付いて離れません。

何度、表面的な謝罪の言葉を並べられようとも、私の心に刻まれた怒りと悲しみの傷は、未来永劫癒えることはありません。これは、個人的な恨みなどという陳腐な言葉で片付けられる問題ではないのです。

人としての「品格」の問題です。

今、その人物は、輝かしい未来を語り、市長の座に手を伸ばしています。

私は問いたい。

私の24年を、仲間の尊厳を、そして震災から立ち上がろうとする人々の祈りを踏み台にするような人物に、私たちの街の未来を託す資格が、本当にあるのでしょうか?

そして、その候補者を「良い人そうだ」「変えてくれそうだ」というイメージだけで応援している皆さん。どうか、一度だけ立ち止まって、冷静に考えてみてください。

聞こえの良い公約の裏に隠された、その人の「本性」を。

権力のない、弱い立場の人間に向ける、その人の「本質」を。

あなたの清き一票は、誰かの人生を応援するためのものであって、誰かの尊厳を傷つけた過去を帳消しにするためのものではないはずです。

無責任な応援は、時として刃となり、誰かを深く傷つけ、街の品格そのものを貶めることに繋がりかねません。

どうか、甘い言葉の仮面に惑わされないでください。

その人が本当に信頼に値する人物なのか、その魂の奥底を見つめてください。

これは、私の抵抗であり、未来への警鐘です。

この魂の叫びが、賢明なるあなたの心に届くことを、切に願っています。

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「目の前で溺れている人を救うには、まず自分が泳げなければならない。これは、ごく当たり前の理屈だ。では、より多くの人々を『支援』するという名の下に行われる活動においてはどうだろうか?直接的なサポートをする力も、相手の痛みに共感する姿勢もないまま、『全体を支援する』と声高に叫ぶ存在。その矛盾に、私たちはもっと敏感になるべきではないだろうか?今回は、そんな『名ばかりの支援』が蔓延る背景にある、根深い問題に迫りたい。」

直接的な支援をする力も、相手に寄り添う姿勢もない人が、集団や全体を対象とした包括的な支援を掲げるのは、確かに矛盾しています。まるで、泳げない人がライフセーバーを名乗るようなものです。

なぜ、そのおかしさがもっと指摘されないのか、そして、なぜ当の本人がその矛盾に気づかないのか、いくつかの理由が考えられます。

 

周囲が指摘しない理由:

  • 遠慮や忖度: 特に組織内や関係の深い間柄では、直接的な批判を避け、波風を立てたくないという心理が働くことがあります。
    「まあ、口だけ番長だよね」と陰で言われるだけで、表立っては注意されないのです。
  • 建前や体裁: 「支援」という言葉は聞こえが良く、社会的な意義も認められやすいため、実質が伴わなくても、それを掲げることにメリットを感じる人がいます。
    周囲も、体裁を保つことを優先し、本質的な議論を避けることがあります。
  • 無関心や諦め: 「どうせ言っても変わらないだろう」という諦めや、他人の行動に深入りしたくないという無関心が、指摘をしない理由になることもあります。
  • 言葉の曖昧さ: 「中間支援」「包括的支援」といった言葉は、定義が曖昧で、具体的な行動や成果が見えにくい場合があります。
    そのため、「何かやっているつもり」に見えてしまい、批判しづらいという側面もあります。
  • 批判することへの抵抗: 人を批判することは、エネルギーも必要としますし、場合によっては反撃を受ける可能性もあります。
    そのため、面倒事を避ける心理が働くこともあります。

当の本人が自覚しない理由:

  • 自己認識の欠如: 自分の能力や姿勢を客観的に評価できていない可能性があります。
    「自分は全体を俯瞰してアドバイスできる」「情報を提供することは支援だ」と思い込んでいる場合があります。
  • 目的のわい小化: 本来の「支援」の目的である「相手の変化や課題解決」よりも、「資金や情報を提供する」という手段そのものが目的化してしまっている可能性があります。
  • 成功体験の誤認: 過去に、たまたま提供した情報や資金が何らかの成果に繋がったとしても、それが自分の直接的な支援能力や姿勢によるものだと誤解している場合があります。
  • 責任の回避: 直接的な支援は責任が伴いますが、中間支援という立場であれば、具体的な成果への責任を曖昧にすることができます。
  • 言葉の魔力: 「支援」というポジティブな言葉を使うことで、自分自身を正当化し、実際に行っていることの不足に目を向けようとしない心理が働くことがあります。
  • 学習意欲の欠如: 自分の支援方法やその成果について、客観的なフィードバックを求めたり、改善しようとしたりする姿勢がない場合、問題点に気づく機会がありません。

一般に伝わる表現で例えるなら

「料理が全くできない人が、『みんなのために食材を分けてあげるのが私の料理支援だ!』と言っているようなものです。確かに食材は手に入りますが、美味しい料理が食卓に並ぶわけではありません。
本当に必要なのは、食材を調理して美味しい料理を作る技術や、食べる人の好みを理解する気持ちです。
もし、その人が食材を配るだけで満足していて、『これでみんな助かるんだ!』と思い込んでいるなら、周りの人は『いやいや、そうじゃないんだよ…』と言いたくなるはずです。」

本当に価値のある支援とは、相手の状況を理解し、共に考え、具体的な行動を通して変化を生み出すものです。
資金や情報提供は、そのための手段の一つに過ぎません。
もし、手段が目的化し、相手の変化に繋がらないのであれば、それは単なる資源の分配であり、「支援」と呼ぶには疑問が残ります。

このおかしさに多くの人が気づき、声を上げることで、より本質的な支援のあり方が議論され、実践されるようになることを願います。

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もしあなたが何かにお金を出したり、応援したりする時、どんな人を信頼しますか?

聞こえの良いことばかり言って、売ることや宣伝することにばかり熱心な人でしょうか?それとも、地味でもコツコツと良いものを作り、本当に価値のあるサービスを提供しようと頑張っている人でしょうか? きっと後者を選ぶ人が多いはずです。
なぜなら、中身が伴わない言葉は、すぐに嘘だとバレてしまうからです。

NPOの世界も同じです。「社会を良くしたい!」と声高に叫ぶのは簡単ですが、本当に社会を変えるためには、自分たちの活動内容(事業)の質を高め、組織を強くすることが何よりも大切です。
良いものを作れない人が、社会を良くすることなんてできないでしょう?

残念ながら、私がこれまで見てきた日本のNPOの中には、「自分たちを良くしよう」という気持ちが低いと感じることがあります。
「お金を集めること」や「活動をアピールすること」ばかりに力を入れていて、肝心の”「何をするか」「どうすればもっと良くなるか」”という基本的なことを、あまり考えていないように見えるのです。

社会を本当に良くしたいなら、それはただのきれいごとでは終わりません。地道に活動の質を上げ、組織を強くし、そこで働く人を育てるという、時間と手間のかかる努力が必要です。


お金を集めたり、情報を発信したりすることは、その努力を社会に伝え、仲間を増やすための手段
です。
土台となる活動がお粗末なまま、いくら宣伝しても、それはハリボテのようなものです。

活動の質を高め、組織を成長させ、人を育てることに真剣に取り組む団体や起業家は、まるで黙々と良いものを作り続ける職人のようです。
彼らが提供する価値は本物であり、社会にしっかりと根を張り、少しずつでも確実に良い変化を生み出します。
一方、お金集めや宣伝ばかりに熱心な団体や起業家は、口の上手な応援団長のようです。
一時的に注目を集めるかもしれませんが、肝心な「応援する価値」がなければ、すぐに飽きられてしまうでしょう。

社会を変えるという難しい目標を達成するには、一時的な人気ではなく、長く続く成長が必要です。
日本のNPOが本当に社会の信頼を得て、大きな影響力を発揮するためには、「まず自分たちがもっと良くなる」という強い気持ちを持ち、活動の質を高めることに真剣に取り組む必要があるのではないでしょうか。


口先だけの理想を語るのではなく、行動で示す価値。
それこそが、私たちが本当に信頼し、応援したいと願う存在なのです。

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3.11東日本大震災・津波から14年。
あの未曾有の災害から立ち上がり、復興に向けて歩みを進める中で、数多くのボランティア団体・NPO法人が被災地に駆けつけ、尊い活動を続けてこられました。その献身には、心からの敬意を表します。
しかし、14年という歳月が流れ「第2期復興・創生期間」が完了しようとしている今、あえて厳しい問いを投げかけなければなりません。

東日本大震災・宮古市魚市場2011-03

 

「私たちは教訓と経験を活かしている」
そう語る震災復興系のNPOの中に、残念ながら、その言葉とは裏腹に、14年間、同じような活動を繰り返し、真の変化を生み出せず、地域の実情や新たなニーズへの対応が鈍化しているように見える組織はないでしょうか?

 

もはや「支援」が「依存」を生み、「善意」が「停滞」を招いていませんか?
発災当初、外部からの支援は不可欠でした。
しかし、復興のフェーズは刻々と変化しています。
緊急支援から本格的な生活再建へ、そして今は、地域住民が主体となった持続可能なコミュニティ形成が求められる段階に来ています。

この重要な局面において、もしNPOが過去の成功体験や組織維持に固執し、「教訓を活かす」という本来の目的を見失っているとしたら、それは復興のブレーキにすらなりかねません。

 

「化石化」するNPO
14年間、同じ看板を掲げ、同じような手法で活動を続けることが、本当に「今」の被災地のためになっているのでしょうか? 当初は斬新だったアイデアも、変化する状況に対応できなければ陳腐化します。
地域には、この14年で新たな担い手や団体が育っています。
彼ら・彼女らは、誰よりも地域の「今」を知り、未来への強い意志を持っています。
「教訓」とは、変化し続けること、そして時には「役割を終える」ことを学ぶことでもあるはずです。

 

「バトンタッチ」という名の成長戦略
今こそ、一部の震災復興NPOは、自らの存在意義を根本から問い直すべき時です。

  1. 活動の成果と「今の」地域ニーズの徹底的な検証: 本当に自分たちの活動が、現在の地域課題解決に貢献しているのか?自己満足に陥っていないか?
  2. 地域団体への積極的な権限移譲: 育ててきたノウハウ、築き上げたネットワーク、そして資金の一部を、地域の新しい担い手に託す「バトンタッチ」を真剣に検討すべきではないでしょうか。
    それは敗北ではなく、育成の成功であり、真の地域エンパワーメントです。
  3. 「活動終了」という勇気ある選択肢: もし、自分たちの役割が限定的になった、あるいは地域の主体性に任せるべき段階に来たと判断するならば、「活動終了」や「組織の縮小・再編」も責任ある決断として視野に入れるべきです。
    だらだらと組織を延命させることが、果たして地域のためになるでしょうか?「美しい引き際」もまた、組織の重要な責務です。

 

支援者・関係者への問いかけ
寄付者や支援者の皆様も、ただ「続けている」ことだけを評価するのではなく、そのNPOが「今の」課題にどう向き合い、地域主体性をどう育んでいるのか、厳しい目で見ていく必要があります。
惰性での支援が、変化を妨げる一因になっていないでしょうか。

 

結論:未来への責任
震災復興は、外部の組織が永続的に主導するものではありません。最終的には、地域住民自身が力強く未来を切り拓いていくことがゴールです。

14年目の節目に、一部の震災復興NPOに求められるのは、過去の功績にしがみつくことではなく、未来への責任を果たすこと。
それは、地域の力を信じ、適切なタイミングで主役の座を譲り、あるいは静かに舞台を降りる勇気を持つことではないでしょうか。

「教訓を活かす」とは、そういうことだと、私は考えます。

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東日本大震災・津波災害から14年が経過し、第2期復興・ 創生期間も2025年度で完了を迎える今、福島を除く「災害支援型NPO・連携復興センター」の役割と今後のあり方について、これを機会に全国の皆様に分かりやすく書き留めたいと思います。


1.連携復興センターの現状と課題
連携復興センターは、被災地の復興を支援するために設立され、当初は重要な役割を果たしてきました。しかし、時間の経過とともに、以下のような課題が顕在化しています。

【自立阻害】
・被災者や地域の団体が、センターの支援に依存し、主体的な活動を阻害している可能性があり、センターの存在が、地域の自立的な復興を妨げる要因となっている可能性があります。

【目的と手段の乖離】
・本来、センターは被災地の自立を支援するための手段であるはずが、組織の維持が目的化している可能性があり、センターの活動が、被災地のニーズと乖離し、形骸化している可能性があります。

【変化への対応不足】
・復興の段階が変化する中で、センターの役割も変化する必要があるにもかかわらず、従来の活動を継続している可能性があり、新しい課題やニーズに対応するための柔軟性が不足している可能性があります。


2.連携復興センター解散の必要性
復興創成期間の完了を踏まえ、連携復興センターは、そのミッションを終え、解散するタイミングを迎えています。

【被災地の自立促進】
・被災地は、復興の次の段階として、自立した地域社会の構築を目指す必要があります。センターの解散は、被災地が主体的に未来を切り開くための重要なステップとなります。

【新たな連携の必要性】
・復興の課題は、時間とともに変化しています。今後は、新たな課題に対応するために、より柔軟で多様な連携の仕組みが求められます。

【税金の使用方法】
・復興予算は限りあるものであり、復興の進捗状況に合わせて、予算の重点的な使用方法を変化させる必要が出てきます。


3.連携復興センターへの提言
連携復興センターは、現状を真摯に受け止め、以下の点に取り組む必要があります。

【自己点検と評価】
・自らの活動を客観的に評価し、課題を明確化する必要があります。
・被災地のニーズとの乖離がないか、常に確認する必要があります。

【段階的な縮小と解散準備】
・復興創成期間の完了に向けて、段階的に活動を縮小し、解散に向けた準備を進める必要があります。
・関係各所との連携を密にとり、円滑な解散を目指す必要があります。

【ノウハウの継承】
・これまでの活動で得られたノウハウを、被災地や他の団体に継承する必要があります。
・今後に生かせる教訓をしっかりとまとめる必要があります。


4.今後の復興に向けて
連携復興センターの解散は、復興の終わりではなく、新たな始まりです。今後は、被災地が主体となり、全国の多様な主体との連携を深めながら、持続可能な地域社会の構築を目指していく必要があります。
あくまでも時限付きの中間団体であるので、役員はもとより会員、サポーター、職員、寄付支援者が身の振り方を常に基本の再確認を行い、考えて行かなければなりません。

大船渡市の林野火災時は、被災者への直接支援が第一であるはずなのに、率先して基金を増資に走る行為には、呆れて物が言えませんでした。
取らぬ狸の皮算用をする復興支援団体の存在価値はないのです。
みなさんの理解を深める一助となれば幸いです。
ありがとうございました。

 

【参考資料】復興庁:東日本大震災からの復興の現状
https://www.reconstruction.go.jp/topics/cat45/cat45_1.html

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東日本大震災・津波災害に近いですが、岩手県沿岸で林野火災が多発し、大船渡でも平成以降最大級の大火となり、家屋にも被害が及んでいます。

大船渡魚市場

そして、支援を募る声も様々な団体から発せられており、使い道として支援団体の活動に宛てられるのか、直接被災された方に届く支援なのかを寄付者が見分ける必要があります。

何よりも、直接的な支援能力や姿勢を持たない人・組織が包括的な支援を掲げることには、さまざまな問題があります。

その理由を書き留めたいと思います。

1.「与える」だけでは「変える」につながらない

【直接支援の重要性】

・個々のニーズを深く理解し、的確なサポートを提供するには、専門的な知識や経験、そして何よりも当事者と向き合う姿勢が不可欠です。

・直接支援を通じて得られる現場の知見は、包括的な支援を計画・実行する上での基盤となります。

【中間支援の限界】

・資金や情報の提供だけでは、受け手がそれを有効活用できるとは限りません。

・提供された資源が、具体的な課題解決や価値創造に結びつかなければ、社会的なインパクトは限定的です。情報を与えた側が、あたかも支援をしたような錯覚に陥ってしまう事もよくあります。

2.自覚の欠如と責任の所在

【支援の質の担保】

・支援を標榜するならば、その質と成果に対して責任を持つ必要があります。しかし、「与える」だけの支援では、責任の所在が曖昧になり、改善や評価が困難です。

【当事者意識の欠如】

・直接的な関与を避けることで、支援者は現場の現実から乖離し、当事者意識を失いがちです。結果として、表面的な支援にとどまり、本質的な課題解決に貢献できません。

3.なぜ指摘されないのか?

【批判の難しさ】

・善意に基づく活動に対して、批判的な意見を述べることは、心理的な抵抗を伴います。特に、資金提供者の立場にある場合、批判はタブー視されやすい傾向があります。

【評価基準の曖昧さ】

・支援の成果を評価する明確な基準がないため、表面的な活動だけで評価されてしまうことがあります。資金を提供したという事で、支援をしたとみなされる事も多々あります。

【関係性の重視】

・時には、支援をする側とされる側の関係性において、強く指摘できない関係性も存在します。

4.解決策

【直接支援と中間支援の連携】

・直接支援で得られた知見を基に、中間支援が戦略的に資源を投入することで、より効果的な支援が実現します。

【評価システムの確立】

・支援の質と成果を客観的に評価できるシステムを導入し、責任の所在を明確化する必要があります。

【当事者参加の促進】

・支援を受ける側が主体的に参加し、意見を表明できる場を設けることで、よりニーズに合った支援が可能になります。

支援とは、「与える」ことではなく、「変える」ことであり、真に社会に貢献するためには、直接的な関与と責任ある姿勢が不可欠です。

「変革の第一歩」となるように、視野を広くして己の立ち位置をしっかり考えなければなりません。

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こういう記事は、このブログの性格に合わないですが・・・。

少し勇気を出して、私の過去の経験と、みなさんにお伝えしたい大切なことを記そうと思います。

中津川の白鳥

私は9年間、岩手県の業務委託の「岩手県NPO活動交流センター」の副センター長を務め、岩手県内のNPO・ボランティア活動をサポートしてきました。
ほんとうに多岐にわたる業務で、コロナ禍の施設管理・運営の管理責任者も安全に完遂できました。
みなさんとの出会いは、本当にかけがえのない宝物で、ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです。

プライベートでは、東日本大震災・津波を実家のある宮古市で経験しましたが、いろんなきっかけて職業を変えて住まいを盛岡市に。
そして大切な妻とも出会い、心身の安定得て、職業以外の社会貢献活動への参画など、毎日をみなさんと楽しく過ごせるようになりました。

しかし、突然のことでしたが、私が雇用されていた「NPO法人いわてNPOフォーラム21」の委託業務の撤退から、私を含めて一緒に働いていた大切なスタッフ全員が「不当解雇」されるという、本当に衝撃的な出来事がありました。
後継の受託団体「いわてソーシャルパートナーシップ共同体:NPO法人いわて連携復興センター、株式会社めんこいエンタープライズ」や岩手県にも再雇用をお願いしましたが、様々な理由をつけられて拒否をされています。

社会通念が通じない理不尽な対応、人権を無視した言動を浴びせられる、もう腐った人たちと一刻も早く関係を絶ったほうが良いと判断するようになり、退職しました。

その頃から、私の心と体は少しずつ悲鳴を上げ始めていたのだと思います。
そして、センターを離れてしばらく経った頃、「燃え尽き症候群」のような状態が、本格的に私を苦しめるようになりました。

始まりは突然の嘔吐でした。その後、食欲は全くなくなり、突然にお腹が下る毎日。
自律神経も大きく乱れ、心身ともにコントロールができない状態になりました。
それは、まるで光の全く届かない、深く暗い深海に一人ぼっちで沈んでいるような、苦しくて息もできないような感覚でした。
体重はみるみるうちに14Kg減ってしまいました。なんの修行?デトックス?かよと・・・。
久しぶりにスーツを着る機会もありましたが、ガフガフでショックでした。(アジャスターは便利ですね。)

「誰かにこの苦しさを分かってほしい。でも、こんな情けない姿は見せたくない。」
そんな葛藤の中で、何度も「いっそのこと、消えてしまえたら楽になれるのかな?」という全く考えたことのないことが頭をよぎったり、夢をみることもありました。
なんか行いの悪いことでもしてたのかよと・・・。

震災直後でもこんな症状は出なかったのに、驚きでした。

そんな、どん底のような日々の中、私を支えてくれたのは、妻や親類、周りの大切な人たちの温かいサポートでした。
「大丈夫!」「ゆっくり休んでいい。」という言葉に、どれだけ救われたかわかりません。

フキデチョウ文庫の沼田さんもありがとうございました。命拾いをしました。えびせんべいが美味かった。
みなさんの支えがあったからこそ、私はカウンセリングや治療に専念することができ、本当に少しずつですが、また前を向いて生きていくことができるようになりました。

この経験を通して、私は心底感じました。「心と体の健康は、何よりも大切だ」と。
どんなに大切な活動でも、どんなに強い使命感を持っていても、自分の心と体が壊れてしまっては、何もできなくなってしまうのです。

NPO活動など社会貢献活動に携わるみなさんは、志が高く、人のために一生懸命になれる素晴らしい方々ばかりだと思います。
だからこそ、どうかご自身の心と体の声にも、しっかりと耳を傾けてください。

もし、

  • 理由もなく不安になったり、イライラしたりする
  • 眠れない、または眠りすぎる
  • 食欲がない、または食べ過ぎてしまう
  • 疲れがなかなか取れない
  • 体のどこかに不調を感じる

といったサインがあれば、それはあなたの心と体が「助けて!」と限界を訴えているのかもしれません。

どうか、決して無理をしないでください。頑張りすぎることは美徳ではありません。
時には立ち止まって、深呼吸をしてみてください。
信頼できる人に相談したり、休息する時間を作ったりすることも、決して甘えではありません。
それは、自分自身を守るための、とても大切な行動なのです。

私のこの苦しい経験が、みなさんの心に少しでも響き、ご自身の心と体を大切にするきっかけになれば、本当に嬉しく思います。

寛解できれば嬉しいですが、たまに「小さいオジサン」が出てきて、悪さをしてぶり返すことがあります。
1度このようなことを経験すれば、自分の心と体に思っている以上に丁寧に付き合っていかなければなりませんので・・・
ほんとうにご用心を。お腹が急に下るのはなくなりましたが、軟便は続いています。

みなさんが、心身ともに健康で、長く、そして笑顔で活動を続けられることを、心から願っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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プロフィール

岩見 信吾 / IWAMI Shingo

岩見 信吾 / IWAMI Shingo

NPOスペシャリスト・地域情報化プランナー: @IwaminTV / @iwateNPO / @IwateNow / @aiinaNPO 元副所長・管理者/魚ログ・三鉄ログ創設/ #盛岡星人 /産学民公連携協働,環境と地域ICT,地域DX,まちづくり,商品開発,災害復興。/日本経済新聞【地域情報化大賞 2008】日経MJ賞 受賞:三陸いわて産地魚市場の環境を意識した地域情報化/農林水産省ボランタリープランナー/岩手県宮古市(旧:新里村)出身、岩手県盛岡市在住 [詳細]

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